第1回 親父、独立

山梨県の勝沼にある
イケダワイナリー

父・俊和

 イケダワイナリーの創業は1995年、今から7年前になります。僕の親父・池田俊和は東京のある新聞社に勤めていたのですが、ワインを造りたいと1978年に母と1歳の僕を連れて山梨にやってきました。

 勝沼町にある『まるき葡萄酒』っていうワイナリーで働くことになったんですが、 その時から独立して自分のワイナリーを持ちたいと考えていたそうです。それから18年間は地道に働いて、ケチってお金貯めて・・・。おかげで子供時代は『なんでウチは貧乏なんだろう』って思ってました。

 山梨には80件近くのワイナリーがあります。これは1県のワイナリーとしては多すぎるので、当時ワインの酒造免許は新たに発行されることがありませんでした。ですから、山梨で自分のワイナリーを持つにはどこかのワイナリーを買い取る必要がありました。

 親父にそのチャンスが来たのは、僕が大学生の時でした。大塚グループの山梨大塚ワイナリーがワイン業から撤退することを決めました。事業を辞めるときには酒造免許を返せば簡単なのですが、免許取得の難しさを知っているので、誰かワイン造りを始めたいと思っている人に譲ろうとしました。そこで僕の親父に話がいき、長年の夢であった独立をすることができました。


 昔からやっていた家業って訳でもなかったので、後を継ごうっていう気持ちはありませんでした。ただ、次第に自分もワインを造ってみようと思うのになるのですが、それには理由がありました。

 まず、自分がお金だけのために働くのは嫌だと思っていたこと。やり甲斐のある仕事でなければ、自分は長続きしないだろうなって思っていましたし、自分の会社を持つっていうことが凄いことだとも考えていました。

 親父が独立してから実家に帰ってみると、親父のヒゲがなくなっているのに気が付きました。物心付いた時からずっとあったヒゲでしたから、僕にとっては凄い驚きでした。はっきりいってあまり似合ってはなかったんですけどね・・・。

 で、そのことを訊いてみると
『独立するのが夢だったから、それを忘れないようにヒゲを伸ばしていた。夢が叶ったから、ヒゲを剃った』
って。それを聞いた時に親父のワインに対する情熱を知ることができました。

 で、もう1つ。もし後を継いで、一緒にワインを造るならアメリカに留学させてくれるという条件がありました。こういった理由で僕はワインを造ることに決めました。

第2話 海外研修

 親父との約束通り、僕は海外での研修をすることができました。研修先はカリフォルニアとオーストラリア。両方ともワインでいうニューワールド。ですが、ワイナリーによって全く違う考え方をしています。

リッジ・ヴィンヤーズ


 最初の半年間は勝沼町にある県立ワインセンターというところで研修し、それからカリフォルニアに行くことになりました。研修先はリッジ・ヴィンヤーズ。カリフォルニアでもトップクラスのワイナリーです。カベルネ主体のワインモンテベロはロバート・パーカーからも非常に高い評価を受けていますし、ジンファンデルでは3Rの筆頭として、カリフォルニアの頂点に立っています。その当時の僕はまだワインのことが分からず、そこでの仕込みが初めての仕込みでした。

 リッジ・ヴィンヤーズのワイン造りはブドウのポテンシャルを100%引き出すということでした。出来るだけ自然なものを使い、余計なものを使わないようにしていました。

 カリフォルニアでの研修を終えてから、2年間は日本で働き。今度はオーストラリアに研修に行きました。本当はフランスで研修してきたかったので、県庁や勝沼町に頼んでみたのですが、フランスのワイナリーはフランス語のできない外国人の受け入れは難しいようです。

 オーストラリアでは2つのワイナリーで研修したんですが、どちらもリッジとは対照的な小規模なテーブルワインを生産するワイナリーでした。ブドウの扱いも逆で、いろいろな作業をしてあげます。僕がお世話になっていたのは、ハンター・バレーのアランデール・ワイナリーとヴィクトリア州にあるゴールバーンのデービット・トレーガー・ワイナリーです。


 この違いを順番を追って説明しますが、これはカリフォルニアとオーストラリアの違いではなく、高品質なワインを目指すワイナリーと小規模な普通のワイナリーの違いだと思って下さい。

 まず、気候の違い。カリフォルニアは夏から秋にかけて乾期になります。海岸より少し内陸に入ったところでは昼と夜の温度差があるので、ワイン造りに最適です。ナパやソノマなどがいい例でしょう。逆にフレスノなどのもっと内陸に入ってしまうと、安いテーブルワインしか造られていません。

 一方で、オーストラリアのハンター・バレーという地域は山梨と気候条件が似ています。つまり、収穫期前に雨が降るんです。しかし、それに対してきちっと対処していけば、それなりに良いブドウはできるようです。

 収穫は、リッジは手摘み。オーストラリアは手摘みと機械。カリフォルニアにはメキシコから労働者が来ています。もちろんオーストラリアにも季節労働者というシステムがあり、多くのワイナリーがそれを利用しています。

 ですから高品質なワインは手摘み。テーブルワインは機械摘みだと考えればいいと思います。ただし、日本では機械摘みを導入しているところは少ないようです。

 収穫されたブドウは除梗・破砕という作業をします。ブドウの茎を取り除いて、軽く皮をつぶしてあげるんです。リッジは夕方から仕込みをし、アランデールでは夜中に仕込みをします。理由は涼しい時間に行うことで、ブドウへのダメージを減らしてあげるためです。

 青果物の呼吸速度は5℃あがれば1.5倍になります。30℃で仕込みをするとブドウには大きなダメージを与えてしまいますし、酸化も進みますので、亜硫酸の量も増えてしまいます。ですから、働いてる人は大変ですが、夜遅く涼しくなってから仕込みをするんです。

 でも、こういった考え方に触れて、一緒に働くことが出来たのは僕のワイン造りにも大きなプラスになるのではないでしょうか?

 除梗・破砕の後、赤ワインはそのままタンクで醗酵を始めます。リッジの場合、白ワインは除梗破砕しないで、そのままプレスをかけます。オーストラリアでは除梗破砕をしてからプレスをします。

 醗酵に使う酵母はリッジでは自然酵母を使います。酵母にはたくさんの種類があるんですが、アルコールに対する耐性が違いますし、造り出す成分の違いもあるので、自然酵母を使うことで複雑味のあるワインができます。一方で乾燥酵母は高い品質の酵母1種での醗酵になりますので、混ざり気のない綺麗なワインが出来ます。

 醗酵中の温度管理は良いワイン造りにとって大事な仕事です。リッジでは28℃近辺での樽醗酵。オーストラリアは15℃でのステンレスタンクでの醗酵をしています。同じシャルドネという品種でも、リッジはトロピカルなフルーツと蜂蜜、アーモンドの香りがありますし、オーストラリアはクリスピーな純粋なフルーツの香りがします。

 赤ワインの場合、オーストラリアでは昼間に仕込みをします。赤ワインは白ワインほど繊細ではないそうです。リッジでは28℃くらいで醗酵。オーストラリアではそれよりも少し低い温度で発酵させます。発酵温度が低ければ、ブドウのフルーツの香りを引き出すことが出来ますし、高い温度での醗酵はタンニンや色を引き出す効果があります。

 醗酵中にはリッジでは特別なことはしません。ポンプ・オーバーという作業と温度管理の2つだけです。逆にオーストラリアでは、綺麗なワインを造るためにいろいろな作業をします。ペクチンを分解する酵素を加えたり、蛋白を落とすためにゼラチンやベントナイトを使用したり、純粋な醗酵を促すために窒素成分を与えたりします。補酸をして味を調えますし、赤ワインではオークチップやタンニンを加えたりします。

 発酵後の樽熟成もリッジの方は白で12ヶ月。赤では18ヶ月から24ヶ月と長期間ですが、オーストラリアでは短期間で白は6ヶ月。赤も長くて1年です。

 こうして出来たワインですから、全く違う味になります。リッジのワインは熟したフルーツの味、香ばしいアーモンドの香りがある力強いワインですし、オーストラリアのワインはニュートラルな綺麗なワインになります。勿論、リッジの方が値段も高くなりますが、オーストラリアのワインも技術力を感じさせるしっかりとしたワインになっています。
第3話 日本のワイン

 日本でのワイン造りというのは、確かに外国と比べると不利であるといえます。

 まず、気候条件。積算温度的には適しています。しかし、収穫期前の雨はブドウ造りにとっては不利になります。そこでどれだけ手をかけられるかが問われます。

 次にコストの高さ。まず人件費が高い。そして勝沼町は土地も高いので、畑を増やすのが困難。熟成というのはワインにとって大事なことなんですが、倉庫代も高いのでビン熟は消費者に委ねてしまっています。

 しかし、それ以上の魅力があります。まず、ワイン消費の拡大。ワインブームの度に増えたり減ったりはありますが、日本人の食生活時代が次第に洋食へと変わっていっています。肉料理を食べるときには日本酒よりもワインの方が合うでしょう。もっとも合わなかったご飯の消費も減ってきていますので、ワインの需要は次第に伸びていくのではないでしょうか。

 そして技術力も少しずつ高くなってきています。もともとは余ったブドウからワインを造っていましたし、技術情報が入ってくるのも遅かったんです。また、1升ビンのワインを湯飲みで、あわせる食事も酒の肴。ですから、昔の甲州種ワインは苦みが強く、ひねた香りがするものも多かったそうです。勿論、シェリー酒などの例もあり、それが好きだという人も多かったのかも知れません。それ自体は葡萄酒の文化として成り立っていたのだと思います。
 現在は海外からも技術が伝わってきていますし、大学などの研究機関も力を入れてきています。造り手も高品質なワインを造りたいという情熱を持った人が多くなっています。

  夢を持って働いている若い人たちもたくさんいます。海外に行きやすくなったのは最近の話ではないですし、実際にフランスやカリフォルニアで研修してくるという人はたくさんいます。そういった情熱を持った人が今の日本のワインの水準を上げています。僕もその1人になれればいいと思っています。