アメリカでの生活

 半年間の滞在で、いろいろな経験をしました。2ヶ月間、アメリカ人の夫婦の家にホームステイさせてもらえる機会がありました。ホテルでの1人暮らしもしました。日本語ペラペラのオーストラリア人のアパートにも住ませてもらいました。最後の1ヶ月はメキシコ人の家に滞在させてもらいました。それぞれに面白かった部分があり、どれも大切な思い出です。
リッジでの仕事 その1
 研修といってもそのほとんどは仕事です。実際にワイン造りに参加しながら学びます。主にやった仕事は、樽の移動、クラッシュ、ポンプ・オーバー、シャベリング、トッピング、ラッキング、ボトリングなどでした。
 クラッシュはブドウの破砕、除梗のことです。ブドウ畑でコンテナに入れられ、トラックで運ばれたブドウを、クラッシュ・ステーションで破砕します。基本的に機械が行うので、それほどの重労働ではないのですが、夕方に始まり、終わるのが夜遅くになることが多いので大変です。
 ポンプ・オーバーとは、ワインに果皮のもつ色や成分をつけるため、果汁を下から抜き取り、それを上からかけてやる作業のことです。1日に2回行い、その時の糖度と温度も測ります。ちなみにホースや金属部品等は苛性ソーダで洗い、クエン酸で中和した後、水で洗い流してから使用します。安全でかつ効率的でとても合理的な洗浄方法です。
 シャベリングとはプレスするときに果汁を抜いた後、残ったブドウの果実をシャベルで掻き出す作業です。大量のブドウを1人で掻き出すその作業はまるでマラソンのようで、とても重労働でした。ちなみに、プレスは風船型(ウィルメス:詳しい説明はなしね・・・。)の圧搾機を使用しています。
リッジでの仕事 その2
 収穫が終わり、発酵も終わると、仕事の内容はがらりと変わってきます。プレスを終えたワインは樽の中で熟成させるわけですが、その間トッピングやラッキングを繰り返していきます。また、熟成がある程度終わったところでボトリングを行います。
 トッピングとは、ワインを樽の中に入れておくと少しずつ減っていくので、それを補充する作業です。その時に亜硫酸も加えます。トッピングは毎月1回行います。
 ラッキングはワインを樽から抜き、底に残った澱を取り除いてから、またワインを樽に戻してやる作業です。だいたい3ヶ月に1回程度行います。
 ボトリングは瓶詰めのことです。ある程度は機械化が進んでいますが、日本と違い人件費が安いため、人の作業に頼る部分も多くあります。ボトリングが行われる時期はそれほど忙しくないので、結構合理的なのかもしれません。
 仕事は朝7時からはじまります。労働者のほとんどはメキシコ人なので、仕事の指示などはスペイン語で行います。10時に15分間、12時に30分間、2時に15分間の休憩をはさみ、仕事が終わるのは3時半です。収穫時期はとても忙しく、残業がほとんどで、遅いときは夜9時まで働きます。
リッジでの仕事 その3
 ワイン造りに欠かせないのはテイスティングです。僕もたまにテイスティングに参加させて貰い、ポール・ドレイパーさんやエリックさんにいろいろ教えていただきました。リッジのワインはいいものばかりだったので、とても勉強になりました。
 リッジの人たちはみないい人ばかりでした。また、日本からも1人派遣されており、いろいろな面で本当にお世話になりました。
 全体を通して感じたことは、ブドウの違いです。ワイン醸造とは、ブドウの持っている可能性を100%出してやることで、120%にする事ではないのです。良いワインは良いブドウから。そんな当たり前で、ワイン造りの根底にあることを実感することができました。日本の醸造技術はそれほど遅れていません。後は良いブドウをどのように造っていくかだと思いました。
アメリカ人の夫婦
 最初にお世話になったのはジミーさんとトニーさんというアメリカ人の夫婦の家でした。2人とも陽気な人で、奥さんのトニーはとても料理がうまかったのを今でも覚えています。家はリッジの近くで、モンテベロマウンテンの上の方にあります。
 ジミーは野菜や果物などの卸業を経営しており、トニーはエンターテイナーのマネージャーをしています。2人はよくリッジの研修生の受け入れをしているそうです。ジミーはスポーツ観戦が好きです。野球、アメフト、アイスホッケー、いつも地元チームを応援していました。僕もメジャーに興味があったのでいろいろ教えてもらいました。アメフトもルールとかいろんなことを教えてもらいました。衛星放送が入っていたので、食前、食後によく観ていました。
 食事は肉や魚がメインでした。当然、ご飯なしで食べます。よくワインやビールを飲みながら食べました。アメリカの家庭料理が味わえたので、とても良かったです。
メジャー観戦
 アメリカにいる間に2度ほどメジャーを観ることができました。1戦目はオークランド・アスレチックスV.Sカンザスシティ・ロイヤルズでした。ロイヤルズの先発はマック鈴木。僕はアスレチックスの帽子をかぶりつつも、マックを応援してしまいました。そこそこの好投はしたものの、結局負け投手になっていまいました。球場ではピザやホットドック、ジュースやレモネードの売り子がたくさんいました。
 2戦目はサンフランシスコ・ジャイアンツV.Sロサンゼルス・ドジャーズでした。ジャイアンツは負けてしまいましたが、とてもいい試合でした。メジャーと日本の野球でもっとも違ったのは守備での送球です。サードからの送球はまるで矢のようでした。打撃も豪快なものが多く、鋭い打球が飛んでいました。
ホテルでの1人暮らし
 ホームステイの後はアパートを借りるつもりだったのですが、クパティーノはシリコンバレーの近くであること、大学が近くにあることなどの理由で捜すのが困難でした。結局、安いホテルに滞在する事にしました。1泊32ドルで、だいたい4畳ぐらいの部屋にベットとテレビ、ビデオ、冷蔵庫、電子レンジがあり、トイレとバスは共同でした。
アメリカの道路
 アメリカの道路はとても広い。しかも、高速道路は無料。最初は右側通行に戸惑いましたが、すぐ慣れました。アメリカの楽なところは、右折です。信号が赤でも車が来ていなければ曲がれます。道が広く、視野が効くので安全なのです。
 ウィンカーは逆に付いてるので、日本に帰って運転したとき、ウィンカーの代わりにワイパーを動かしちゃいました。
ファーストフードとレストラン
 ホテルにいたときには、食事は外で食べることが多く、おかげでファーストフードのほとんどを経験することができました。ファーストフードにはマクドナルドなどのハンバーガーから吉野屋の牛丼や中華、メキシカンフードなどいろんな種類があり、どれも安くてそこそこ美味しかったです。特にお奨めはタコベルです。メキシカンフードですが、アメリカ風にアレンジがしてあり、とても食べやすく、僕のお気に入りでした。吉野屋はさっぱりしすぎかなとも思いましたが、米が安く食えたのでたまに利用してました。ケンタッキー・フライドチキン、通称KFCはとても安く、これもたまに利用していました。でも結局一番利用したのはマクドナルドでした。
 ファーストフードとは少し違いますが、ピザやパスタなどのイタリア料理も豊富でした。ピザは日本の半分くらいの金額でした。中華料理もたくさんあったのですが、味付けが濃く、口に合いませんでした。寿司はうまい。カリフォルニア米のイメージが完全に変わりました。
 アメリカではチップがあります。ファーストフードでは不要ですが、レストランでは15%〜20%払うのが常識です。料理が気に入らなかったり、サービスに不満を感じた時以外は払いましょう。とにかく、アメリカは多人種の国。それだけに料理も豊富で、とても楽しかったです。
オーストラリア人のアパート
 リッジには僕の他にも研修生がいます。金を稼ぎながら世界を転々としているギャリー、正社員になる前の研修期間中だったモーガン。リッジには、僕のように勉強のための研修生だけではなく、いろいろな目的を持った研修生がいます。ギャリーとモーガンはリッジが借りている2人用のアパートに住んでいましたが、モーガンは正社員になったので引っ越していきました。そこで僕はギャリーが帰るまで一緒に住めることになりました。
 彼は日本にも1年半ほど住んでいて、日本語が話せました。世界中を廻るのが好きで、ロンドンで働いていたこともあるそうです。金が貯まるとバックパッカーとなり旅行し、またどっかで仕事を見つけ、金を貯めます。彼はリッジで働いた後、タイに行きました。
 アメリカのアパートは部屋がとても広く、しかもプール付き。僕が住んでいた所ではジムやサウナも付いていました。僕はほぼ毎晩ジムやサウナに通っていました。
アメリカでのショッピング
 アメリカは日本と比べ物価が安いです。どの町にも大きなショッピングセンターがあり、いろんなモノが売られています。カードでのショッピングが定着しており、ほとんど現金は使いません。ただしファーストフードなどではカードは使えません。
 映画のビデオはとても安く、15ドル〜20ドルぐらいで買えます。最近では日本でも廉価版などがありますが、それと同じように気軽に買えます。
 日本の物も手に入ります。ヤオハンというスーパーでは日本のものが買えます。アメリカでも日清のカップヌードルはありますが、ラーメンというよりスープみたいなものでイマイチ。僕はたまに日本製のカップラーメンを買い込んで、昼などに食べてました。
メキシコ人の家
 ギャリーが他の国へ行き、アパートも解約しました。そのため僕は安いホテルに戻るつもりでした。しかし、そのホテルは満室で、他のホテルはとても高かったので、それをラウールというリッジの従業員に相談しました。すると彼が家に来ていいよと言ってくれました。そうして、僕は帰国までの1ヶ月間、その家にお世話になることができました。
 家はワイナリーの敷地内にあり、車を使わずに仕事場に行くことができました。とても小さな家で、ラウールは1人で住んでいました。周りにも何件か、リッジで働いている人の家があり、週末などにはよく飲みに行ったり、遊んだりしていました。おかげでメキシコ料理をたくさん食べることができました。地理ペッパーはとても辛く、最初は少しも食べれなかったのですが、3ヶ月後には何とか食べられるようになりました。