
ぶどうの歴史
勝沼で栽培されているぶどうは、
勝沼、上・下岩崎を中心に栽培されていました。
ぶどうは、栽培するために環境が限られていましたが、
勝沼町はぶどうに適した自然条件にあったため、
今のようなぶどうの里として、認知されるようになりました。
甲州ぶどうが取引されるようになったのは、江戸時代ごろ、
五街道がつくられ、勝沼が通る甲州街道もその一つとされました。
荻生徂徠は峡中紀行の中で
「勝沼の宿は人家多く繁昌なるところ
甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名物なり」
と記し、勝沼宿も珍果ぶどうの里として江戸へも知れ渡りました。
また、松尾芭蕉が、勝沼宿を通った際に「勝沼や馬子もぶどうを
食いながら」と句を詠んだのは有名ですが、
これは当時高級な果物であったぶどうですが、勝沼では貧乏なこどもも
食べられるほど作られているという当時の勝沼の情景がよくあらわれています。
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